作家 永倉萬治氏を偲んで

作家・永倉萬治氏の紹介

 1948年志木市に生まれる。立教大学中退。 ”東京キッドブラザース”に在籍後、放送作家、広告プランナーなどを経て多くの雑誌にエッセー、小説などを発表。

 著書は講談社エッセイ賞の「アニバーサリーソング」をはじめとして、「ああ、結婚」「アナタの年頃」「黄金バット」「男はみんなギックリ腰」「四重奏」「どいつもこいつも」「みんなアフリカ」など多数。軽妙 で、ウイットに富み、ユーモアとペーソスに包まれた 作風は、若者から年配の方々に至る多くの読者に愛された。

2000年に急逝された永倉萬治さんの代表作「武蔵野S町物語」が
文庫版になりました。上はその文庫版の表紙。
(ちくま文庫より定価780円+税。)

 しかし彼は12年前に脳溢血で倒れてしまう。右半身マヒ、言語障害の後遺症が残り、作家としての復帰は不可能と思われた。それにも関わらず彼が持ち続けた創作への意欲を支え、彼の作家活動を持続させた方が いた。

 奥様の有子さんである。有子さんは文章を推敲(すいこう)し、 校正する作業に取組み、二人三脚で実に26冊もの著作を出版した。それはまさに不可能を可能にしたものと言わねばならない。

 しかしそんな日々の中、昨年10月合気道の稽古中に再び倒れ、萬治さんは永遠の旅路に立たれてしまった。
享年53歳。


「武蔵野のS町物語」とわたくし

デジタル工房◇原 昭二

 いつでもお会いできると思っていたのは誤りだった。

 萬治さんが急逝されたことを知ったのはついこの間のことだ。しかし月日は矢のように容赦無く過ぎてゆく。
永倉萬治さんの書かれた「武蔵野S町物語」で舞台となったS町…。

 この物語はフィクションであるが、S町は実はいまのS市、
池袋から北西に向かって走る東武東上線沿線のベットタウンに変容したS市に違いないのだが…。
わたくしはこの町に生まれ、この町で育った。S町に居住して何十年もの間都内に通勤してきた。
この町はわたくしのベッドタウンでもあった。

いまわたくしのこの物語に対しての思いは真剣である。
この物語に描かれた情景を思い起こすことがわがこころを動かすのは当然のことであるが、しかしそれだけではない。
この物語はいま、はるか彼方、遠くに去ったわたくしの少年時代の情感を鮮明に甦らせ、
また、わがこころを洗い浄めてやまないのである。

S町は欅の大木がそびえ立つ田舎の町。
砂利道の 旧道、その道に沿って流れていた用水…「野火止用水」。
もとは川越と江戸とを結ぶ新河岸川の舟運で、陸路 との中継点として三百年にわたって繁栄した町。

しかしいま、舟着き場近くに並ぶ大店(おおだな)、市場として賑わった町並は無い。
すべてが消え、これらの情景の片鱗を探すことも至難なこととなった。

町を貫通しているかつての街道…
「奥州街道」(江戸時代には甲州街道と日光街道とのバイパスとして使われた)の景観は、まったく変容した。
いまではもっぱら物流に関わる大型車が行き交う通過道路となった。
かつては牛車や馬車が通る道、土臭い田舎の道、地面 からたちのぼる陽炎、雲雀の鳴き声や、
ときには響きわたる飛行機の爆音、ほんの一部分だけが鋪装された目抜きの大通り。

わたくしは萬治さんが記されているモダンな三階建ての校舎が建つ前の 、
二階建て木造のS小学校で学び、そしてよく遊んだ。友だちの中には永倉萬治さんのおじさんに当たる長倉新吉君がいた。
新吉君とわたくしは大の仲良しだった。よほど気が合っていたためか、喧嘩をした覚えがまったく無いのである。

2年生の夏休み中のことであった。彼は病気で急逝し、短い命を閉じた。
わたくしにとって忘れることのできない深い悲しみだった。

萬治さんは昭和生まれ、わたくしと彼とは年令が二回りも違うのに、
書かれているS町の情景はわたくしの少年時代とほとんど変らない。
かつては時の流れはいまよりずっと緩やかであったのだ。

S川(新河岸川)に近く、古い沼があった。”女まきめ”と呼ばれていた。
明治のころまでは、この川は激しく蛇行していたが、河川の工事で断ち切られた部分だ。
萬治さんの物語り以後、この沼は埋め立てられた。 そこに大きな市役所のビルが建てられた。
”女まきめ”の水面に釣糸を垂らすと、ポチャンと音を立てて水面に輪がひろがる…。

一方小学校で、生徒がいない授業中の校庭は光で満ち溢れ、眩しくて、
二宮金次郎の銅像は楠の陰に隠れてやや暗いが、隣の誘導円木には燦々と光があたっていた…。
この光景は、実に今年の春まで変わらないで残されていた。
いつでも校門の前で佇みながら静かなときを過ごすことができた。

しかしである。この校庭の真中に地上3階の公民館と図書館、そしてなんと地下2階の体育館を建築し、生涯教育を兼ねた施設【大人たちの〜あそび場?〜になるという話も】を併設するという。
この計画が突如出現し、工事のため景観は一変することになりそうだ。

永倉萬治さんが遺されたS町物語の舞台を、その中に記された子供たちのこころの葛藤や、夢や涙をも一緒にして、
すべてを過去のものとしてし押し流してしまうのであろうか。
失われるものはわたくしにとって余りにも大きい。 無念である。


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