作家 永倉萬治氏を偲んで | |||||||||||||
作家・永倉萬治氏の紹介
1948年志木市に生まれる。立教大学中退。 ”東京キッドブラザース”に在籍後、放送作家、広告プランナーなどを経て多くの雑誌にエッセー、小説などを発表。 著書は講談社エッセイ賞の「アニバーサリーソング」をはじめとして、「ああ、結婚」「アナタの年頃」「黄金バット」「男はみんなギックリ腰」「四重奏」「どいつもこいつも」「みんなアフリカ」など多数。軽妙 で、ウイットに富み、ユーモアとペーソスに包まれた 作風は、若者から年配の方々に至る多くの読者に愛された。 |
2000年に急逝された永倉萬治さんの代表作「武蔵野S町物語」が | ||||||||||||
しかし彼は12年前に脳溢血で倒れてしまう。右半身マヒ、言語障害の後遺症が残り、作家としての復帰は不可能と思われた。それにも関わらず彼が持ち続けた創作への意欲を支え、彼の作家活動を持続させた方が いた。 奥様の有子さんである。有子さんは文章を推敲(すいこう)し、 校正する作業に取組み、二人三脚で実に26冊もの著作を出版した。それはまさに不可能を可能にしたものと言わねばならない。 しかしそんな日々の中、昨年10月合気道の稽古中に再び倒れ、萬治さんは永遠の旅路に立たれてしまった。 | |||||||||||||
| |||||||||||||
「武蔵野のS町物語」とわたくし デジタル工房◇原 昭二
いつでもお会いできると思っていたのは誤りだった。 萬治さんが急逝されたことを知ったのはついこの間のことだ。しかし月日は矢のように容赦無く過ぎてゆく。 この物語はフィクションであるが、S町は実はいまのS市、 いまわたくしのこの物語に対しての思いは真剣である。 S町は欅の大木がそびえ立つ田舎の町。 しかしいま、舟着き場近くに並ぶ大店(おおだな)、市場として賑わった町並は無い。 町を貫通しているかつての街道… わたくしは萬治さんが記されているモダンな三階建ての校舎が建つ前の 、 2年生の夏休み中のことであった。彼は病気で急逝し、短い命を閉じた。 萬治さんは昭和生まれ、わたくしと彼とは年令が二回りも違うのに、 S川(新河岸川)に近く、古い沼があった。”女まきめ”と呼ばれていた。 一方小学校で、生徒がいない授業中の校庭は光で満ち溢れ、眩しくて、 しかしである。この校庭の真中に地上3階の公民館と図書館、そしてなんと地下2階の体育館を建築し、生涯教育を兼ねた施設【大人たちの〜あそび場?〜になるという話も】を併設するという。
永倉萬治さんが遺されたS町物語の舞台を、その中に記された子供たちのこころの葛藤や、夢や涙をも一緒にして、 |