消えた「ハケの山」
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住民たちは「雑木林を守るシンポジウム」を開催し、
「未来に残そうハケノヤマ」をスローガンに署名を集め、市当局および県当局に陳情書を提出するとともに、
不動産建設業者との話し合いを続けてきた。 この間の動きは今年1月下旬以来、「埼玉新聞」に10数回にわたって報告されている。
しかしこの山林に境を接している志木、朝霞、新座各市のどれだけの住民がこれらの動きを知っていただろうか。
シンポジウムのメンバーは3月13日には、東京地方裁判所に伐採禁止命令仮処分の申し立てを申請。
ところが、19日に朝霞市が建設業者に開発許可を出す。
市の開発許可を受け、20日に伐採開始。23日には「ハケの山」は姿を変え、やがて高層マンション群に変貌を遂げるのである。
マンションが建設されれば、400台もの膨大な数の車が増える。周辺の道路は今まで通りの狭い道。
渋滞は避けられず、空気汚染もまぬがれまいと近隣住民の不安は大きい。
4月6日、朝霞リサイクルプラザにおいて、伐採に抗議する報告集会が開かれた。近くの市民が集まり、経過報告を受けた。
最後に今後も建設業者と朝霞市に強く抗議していくためのアピールを発表した。
雑木林を守るネットワークの活動に関しては、伐採に至るまでの一連の経過、
ハケの山の景観を記録・編集した写真集が納められているホームページが作成されている。
まもなく今後の活動の方向性も記録されるはずである。
「ハケの山」の問題は朝志ヶ丘近隣の住民だけの問題ではないことを自覚し、市民の力で自然環境を守るにはどのような方法があるか、
思索を重ねる必要があるだろう。
かつてこの地域一帯は雑木林で覆われ、江戸時代には徳川将軍家の鷹狩場だった。
戦前には電力研究所(転じて慶応義塾大学獣医学部、現在は高校となっている)が開かれ、その背後には朝志ヶ丘住宅街が開発された。
一方ハケの山の南端には高層の公団住宅が、北側にもマンションが建設されて、その都度伐採が続き、雑木林は狭められてきた。
この機会に私たち市民、いや国民ひとりひとりが、貴重な美しい自然や環境や歴史的な建造物などを寄付金で買い取ったり、
あるいは寄贈、遺贈で入手して保全、維持管理し、広く公開することで、
次の世代に残していくといった市民運動(ナショナル・トラスト運動)に関して、勉強してみることは有意義なことだと思う。
「雑木林を守るネットワーク」
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「社団法人日本ナショナル・トラスト協会」 ホームページ
「ハケの山」の名前の由来 「ハケの山」の「ハケ」は水はけの「はけ」が語源のようです。 |