消えた「ハケの山」

 3月23日、朝霞市の代表的な「武蔵野の雑木林『ハケの山』」が姿を消した。
「ハケの山」は、東武東上線下り電車が朝霞台駅を出て間もなく、
志木駅に差しかかる手前、線路脇に広がった広大な雑木林である。
 この地域の住民はもちろん、
通勤する人々がみな窓越しに眺めてはその景観に見とれるほど、
季節感のある美しい林だった。
この近隣、朝志ヶ丘に住む住民にとって、
間近に自然の息吹を感じられるこの山林はかけがえのない財産だった。
「朝志ヶ丘・ハケの山」は、
朝霞市が平成9年に発行した朝霞市史をつづった 「あさかの歴史」の巻頭グラフにも、
「武蔵野の雑木林」として、その写真が掲載されている。
住民たちはこの山林が伐採されるなど夢にも思わなかったろうし、
ましてそこに高層マンション群が建設されるなど、驚愕に近い通告だったろう。

 実はこの山林を永年にわたって所有・管理してきた地権者が、
相続税の納付のために売却することを決めたのだった。
 それを知った住民の有志が朝霞市にこの土地を買い取り、
環境を守りながら公有地として活用するよう、願い出た。
それを受けて朝霞市では予算65億円の拠出を決め、地権者と交渉したが、
大手不動産建設業者数社が連合して買収に動き出し、
昨年8月中旬、「ハケの山」は市の提示額を上回る80億円という金額で、
大手不動産建設業者の手に渡ることとなった。
 このままでは25000uという広大な雑木林のすべてが伐採され、
その代わり4棟の高層マンションが建設されてしまう。
自然環境が破壊されるだけでなく、住民の生活環境が一変する。

 住民たちは「雑木林を守るシンポジウム」を開催し、
「未来に残そうハケノヤマ」をスローガンに署名を集め、市当局および県当局に陳情書を提出するとともに、
不動産建設業者との話し合いを続けてきた。 この間の動きは今年1月下旬以来、「埼玉新聞」に10数回にわたって報告されている。
しかしこの山林に境を接している志木、朝霞、新座各市のどれだけの住民がこれらの動きを知っていただろうか。
 シンポジウムのメンバーは3月13日には、東京地方裁判所に伐採禁止命令仮処分の申し立てを申請。
ところが、19日に朝霞市が建設業者に開発許可を出す。
市の開発許可を受け、20日に伐採開始。23日には「ハケの山」は姿を変え、やがて高層マンション群に変貌を遂げるのである。

 マンションが建設されれば、400台もの膨大な数の車が増える。周辺の道路は今まで通りの狭い道。
渋滞は避けられず、空気汚染もまぬがれまいと近隣住民の不安は大きい。
 4月6日、朝霞リサイクルプラザにおいて、伐採に抗議する報告集会が開かれた。近くの市民が集まり、経過報告を受けた。
最後に今後も建設業者と朝霞市に強く抗議していくためのアピールを発表した。
 雑木林を守るネットワークの活動に関しては、伐採に至るまでの一連の経過、
ハケの山の景観を記録・編集した写真集が納められているホームページが作成されている。
まもなく今後の活動の方向性も記録されるはずである。

 「ハケの山」の問題は朝志ヶ丘近隣の住民だけの問題ではないことを自覚し、市民の力で自然環境を守るにはどのような方法があるか、
思索を重ねる必要があるだろう。

 かつてこの地域一帯は雑木林で覆われ、江戸時代には徳川将軍家の鷹狩場だった。
戦前には電力研究所(転じて慶応義塾大学獣医学部、現在は高校となっている)が開かれ、その背後には朝志ヶ丘住宅街が開発された。
一方ハケの山の南端には高層の公団住宅が、北側にもマンションが建設されて、その都度伐採が続き、雑木林は狭められてきた。
 この機会に私たち市民、いや国民ひとりひとりが、貴重な美しい自然や環境や歴史的な建造物などを寄付金で買い取ったり、
あるいは寄贈、遺贈で入手して保全、維持管理し、広く公開することで、
次の世代に残していくといった市民運動(ナショナル・トラスト運動)に関して、勉強してみることは有意義なことだと思う。

「雑木林を守るネットワーク」 ホームページ

「社団法人日本ナショナル・トラスト協会」 ホームページ

「ハケの山」の名前の由来

 「ハケの山」の「ハケ」は水はけの「はけ」が語源のようです。
本文にも出てくる『あさかの歴史』にも「黒目川が削った崖状になっている台地と低地の境目にあたる、ハケというところには〜」という記述があり、地形的に急に水はけがよくなる場所を差すようです。朝霞市浜崎一帯はこの「ハケ」に当たり、その地の有力者の家をいつからか「ハケの家」と呼ぶようになったとのこと。
そして、その有力者が所有する山林を「ハケの山」と呼ぶようになったといいます。
(朝霞市教育委員会で市史編さん室長を務められた広野淳さんのお話しから)

 

 

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