妙音沢湧水とは

 新座市民にとっては周知の妙音沢湧水。この妙音沢湧水、斜面林を天然記念物として残そうという運動が展開されていることを、近隣の市民の方々はご存じだろうか。

 妙音沢湧水は新座市営墓地の近く、市場坂と油面坂の間にある斜面林に湧く水流で、武蔵野台地の段丘崖下から大沢、小沢の二筋の流れを作り、黒目川に注いでいる。梅雨から夏にかけては、現在でも最大毎分三トンを越える豊富な水量を誇り、この清冽水域にはプラナリアやサワガニ、ヘビトンボなどの貴重な水生生物が生息している。また、湧水のある斜面林にはカタクリやニリンソウなどの植物が自生するほか、希少種を含む四百種類以上の植物が確認されているという。

 ところが、この「段丘礫層からの湧水が直接観察できる」という都市部では類を見ない自然を取り壊し、人工建造物に変えるという計画が、一九九二年、新座市によって打ち出された。この計画に反対の声を上げたのが新座市民であり、その中心となって運動したのが「新座の自然とくらしを守る市民の会」である。

 新座市では、この「新座の自然とくらしを守る市民の会」(以下新座市民の会と表記)がその名の通り、新座の自然環境と人々の暮らしを守る市民運動の核をなしてきたと言っても、決して過言ではないだろう。

自然と暮らしを守る
市民団体の発足

 新座市民の会の発足は古く、一九七四(昭和四九)年六月。すでに二八年の歴史を有する市民団体である。会の結成のきっかけは、平林寺境内林の近辺に、日本住宅公団が八〜十二階建て五百戸の団地を建設する計画が持ち上がったことによる。団地開発によって、平林寺の環境や景観が損なわれ、大気汚染や自然破壊といった公害が予見できることで、反対運動を起こす必要性を感じた市民が立ち上がったのだ。その結果、団地の建設は拒めなかったものの、当初の高層団地案から中・低層団地へと計画は変更され、戸数も減り、樹林地を残すことで、野火止団地が作られたのである。

 自然を壊し、近隣住民の平穏な生活を脅かす高層建造物などの開発計画が起こると、付近の住民は一様に反対運動を起こすが、当初の予定通りではないにしろ、その建設が実現してしまうと、その住民運動は尻つぼみになってしまうことが多い。

多岐に渡る数多くの運動

 しかし新座市民の会は、この建設が実行されてしまったことで、運動を終結させたわけではない。おそらくそれは、自分の住むごく一部の環境さえ守られればいいというのではなく、市民として、国民として守るべきものを広くとらえていたからにほかならない。その後、栗原六丁目の両山の開発反対運動、野寺三丁目の某土木会社の資材置き場撤去の運動、新座市水道の赤水をなくす運動、マンション建設阻止運動、野火止用水の清流化とふたかけ問題、各地の緑を守る運動、学校給食センター化反対の運動、農薬問題への取り組み、妙音沢斜面林のカタクリ自生地の保護を求める運動などなど、列挙にいとまがない。ここに挙げたものは初期の運動のほんの一部で、二八年の間には数え切れない問題に対峙してきているのである。  

市民として、人として

この五月二九日、新座市民の会では、妙音沢湧水・斜面林の県天然記念物指定を求める署名六一〇四人分を、県に提出している。今後は「審議会の傍聴や議事録の公開を請求しながら、これを第一歩に粘り強く働きかけていくつもり」だという。

 新座市民の会の「私たちの主張」を読むとき、私たちすべての国民の主張であることに気づくはずだ。新座市民の会の活動は、我が身にふりかかって初めて声をあげるのではなく、常日頃から周辺の自然環境や利潤を追求するだけの強引な開発に敏感に反応する思考を持っておくべきであることを、改めて教えてくれたのではないだろうか。なお新座市民の会では記念誌や会報も発行している。

 連絡先は左記の通り。 連絡先…新座の自然とくらしを守る市民の会 代表…初見祐一

 

悲しいお知らせ
長い間この会の世話をされてきた世話人代表の北川豊さんが6月25日にお亡くなりになりました。
謹んで哀悼を捧げます。

  

野鳥のさえずりに包まれ、大地からは溢れるように湧く水、
掛け替えのない「新座市の宝」をみんなで守ろう。

 

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