8200名の署名簿を受け取り、
志木市の緑の保存を真剣に取り組む
決意を表明される
穂坂邦夫 志木市長


慶応高校寄宿舎跡地の開発

 志木市駅前商業地区に近い慶応志木高校のキャンバス、その一部、約一万数千平米(約四千坪)が大手不動産会社に売却された。
この情報が近隣で暮らす市民の耳に届いたのは、盛夏の頃であった。

 武蔵野の雑木林を残した慶応高校のキャンバスは、学生の勉学のためにのみ、豊かな環境を与えるだけではない。都市化が急速に進んで自然をほとんど失ってしまったこの地域の貴重な財産となっているのだ。かつて江戸時代から昭和の時代まで、新座市から志木市にかけて大地を潤し、豊かな収穫によって人々の生活を支えてきた「野火止用水」は広大な樹林を育み、天然の恵みを惜しむことなく与えてきた。
しかしいまその面影は、ここ慶応高校の敷地の中にしか残されていない。

 この自然環境の保全についての動きはどうであったか。

 聞くところによると、慶応側は、理事会で売却を決め、まず志木市に購入を打診したとのことである。市側は財政困難を理由として拒絶、また市(市長と市会議員有志)は埼玉県に援助を働き掛けたが不可能との結論になり、大手不動産への売却が決まった。その結果三百所帯と推定される集合住宅の建設に向かうものと思われる。

 志木市、大原地区の住民は、「慶応高校の緑に想いを寄せる会」を設立、開発業者と志木市当局に要請するための署名を開始した。この流れは、つい先日、朝霞市のハケの山の土地売買でのそれとまさしく瓜二つであった。ハケの山の場合には、すでに本紙も取材して報告したが、市民との話し合いが難航し、市民側は「仮処分」という法律的な手段を用いたが、その途上で雑木林は伐採され、素早い測量、地質調査、設計を経て着工されたことは皆様ご存じの通りである。基礎工事は急ピッチで進み、モデルルームの設置、販売活動も活発に行われている。驚くべきは、手回しの良い整然とした企業体の展開の手並みである。この仕組みは自然環境を守らなくてはとの関係者の決意が到底立ち打ちできるものではない。

 問題点はいくつもあるが、

 、志木市は自然の保全を重要な課題として取り上げている。
したがって問題の解決は、行政としても真剣に取り組むべきである。
 平成九年度の「自然環境調査」で、慶応志木高校内の台地上緑地を「保全が望まれる植物群落が存在する地域、森林性の鳥類の多様性の高い地域、希少な鳥類が確認された地域」に該当する保全重要地域としている。平成十一年の環境基本計画、平成十二年の都市計画マスタープラン、都市景観形成基本計画、平成十三年の緑の基本計画においても、市民のための市民による樹林の保全が取り上げられ、慶応高校の樹林地は保全のための地区として指定する候補地となっていて、台地に残る緑地のコア(核)と位置付けている。市街化に伴って孤立してゆく緑地をネットワーク化する拠点として、市民の暮らしにとって極めて重要である。
 さらに志木市は自然再生条例(平成十三年)を施行、そこには「今ある自然を残す、志木市の理想のイメージを皆で共有します、できることをすぐはじめます」などの理念を述べている。

 2、「緑に想いを寄せる会」には、志木まちづくり懇談会、志木市の市民会議のメンバーとして、また前記の行政による環境調査、基本計画作成に関わった方々が多数参加している。この活動は緑を大切に、歴史を継承する人々が「計画を何が何でも阻止しようとするのではない」、「計画の段階から市民の声に耳を傾けながら進めて欲しい」、行政も一緒に考えて欲しい」という願いが込められている。
 当NPO「市民フォーラム」は「公共参加」を旗印として掲げ、行政と市民とのインターフェイスの役目を使命としているので、願いは同じ、これからの展開が少しでも良い方向に進むことを祈りたい。

 3、慶応高校の土地は、かつて電力界に君臨した松永安左エ門氏が電力の研究機関「東邦産業研究所」を建設した跡地である。戦後混乱の時期があったが、最終的には松永氏の舵取りによって、慶応義塾への寄贈が実現し、彼はその念願を果たした。広大な研究所の敷地は地元の地主の所有であって、開設に協力して買収の要請に応じた経緯がある。慶応義塾が経営上の理由で広大な敷地の一部を切り売りしたのは実は今回がはじめてではない。すでに売却された以上手遅れではあるが、慶応義塾の経営者がかつての地元の協力や松永氏の善意を汲み、地域との関わりを真剣に考えて欲しかったと市民は遺憾に思っている。


※この記事は上記の「慶応高校の緑に想いを寄せる会」の資料を参考にして作成しました。

毎年寄宿生を迎え、
送っていた正面シンボルの銀杏

開発が予定されている森の全景

 

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