大地例賛
傾斜林と湧き水
「斜面林」、「湧き水」への関心が高まりを見せている。一体何故と思われる方も少なくないのでは…
かつて武蔵野の台地は豊かな樹林に包まれていた。しかし都内への通勤が至便となって急速に宅地化が進み、樹林の多くは伐採された。
この台地を流れる河川に沿った崖の線上に、宅地化をまぬがれ、わずかな樹林が「斜面林」として残された。
さて緑地の評価は面積によるのだが、その質も問われる。斜面林は、平地林と較べると、多様な植物が入り混じっていることが特徴。高い自然性を保ち、生態系のネットワークの核となる条件を備えている。
斜面林の多くは私有地
ただし、これらの斜面林の多くは私有地で、将来にわたって保存されるという保証は無い。現代の建築技術によれば、斜面といえども宅地化することは容易であり、その存続はまさに危機を迎えている。
最近地権者の好意で、一部の斜面林が行政や市民に公開され、保全の努力がなされるようになったことは、誠に幸いなことだ。緑地を社会の共有財産として認識し、地権者、行政、市民が協力して保存する体制の強化が望まれる。
忌むべきは、この貴重な林にごみを捨てる者。下草の手入れを怠らず、常緑樹への遷移、植生の単調化などに配慮しつつ、貴重な生態の保存に努めねばならない。
湧水は大地から…
また「湧き水」は台地の緑の崖線の下から湧き出し、そこに居住する人々が飲料水として使い、かつてはひろく田んぼをも潤していた。
台地の地下水は関東ローム層の下にある砂や礫の間をゆっくり流れ、川によって削られた斜面から湧き出す。湧水量がきわめて多いものもあり、最近はしばしば暗渠となって、排水路に流れ込むものが増えている。しかし水質が良く、水温も一定に保たれる清冽な流れや湧水池には、多様な動物、植物が水中の生態系を形つくっている。希少な種も少なくないのだ。
私たちが斜面林と湧き水に何故関心をもつべきなのか。分かってもらえただろうか。
この文章を記すさいに
1、和光市湧き水と緑地マップ(発行:和光市建設部都市整備課、財団法人日本自然保護協会)
2、NPO「エコシティ志木」の天田真氏の論説を参考にした。
せど湧水は蘇る
志木市幸町、森田家裏の斜面はニュータウンと境を接しているが、市内の古木を調査されている「志木市環境教育推進員の集い」(座長:尾崎征男氏)の皆さんが、ここにかつて湧き水が流れていたことを聞き、発掘を試みた。果たして二十五年ぶりに湧水が蘇り、森田家の屋号に因んで「せど湧水」と名付けられた。
湧水量が多く、洗い場として整備されていて、近隣の方々も飲料水として使っていた。志木駅南口から別れた「野火止用水」がその傍らを流れ、田んぼを潤していたが、ニュータウンの建設で埋められた。当時は田んぼの底にも「かま」と呼ばれた湧き水がいくつもあって、はや、やつめうなぎ、などの魚も住んでいたという。
斜面林と湧水が壊されるということは…
志木市本町二丁目、敷島神社の裏、新河岸川に沿った「富士下」の湧水に杭が打ち込まれ、砂利が敷かれて、新しい水路が作られた。驚いた環境保護グループが工事をした志木市の都市整備課に問い合わせたところ、つぎのような事情が分かった。
この地域は志木市の親水公園の一部となっているが、市民の自然に触れるスポットとして「蛍の池」を整備する工事だとのこと。さらに尋ねると、このような工事では、まず環境推進課との協議を行ない、現地調査の上、自然保全再生協議会の意見を聞いてから、具体的な工事のプランを立てるというマニュアルが存在するそうだ。今回の工事では、そのプロセスが何故か機能しなかった。しかもこの斜面林、湧水、湿地の一帯は、地元の地主の好意に頼って無償で借用しているという。ところがこの工事について、地主さんの許諾を求めたこともないという。
さらに「蛍の池」の発想のもとを辿ると、志木市長すじのアイディアとのこと。蛍を鑑賞することが市民へのサービスと考えたとしても、貴重な志木市の天然の湿地にこれを作ろうとしたのではないはずだ。自然保護に真剣に取り組むべき当局者によって、その基本が守られなかったことは残念なこと、本気で地域の自然保護に取り組んできた市民グループの方々にとっては耐えがたい工事ではないだろうか。
湿地は生物の宝庫
言うまでもなく、天然の湿地は生態系の宝庫であり、壊されると再現は困難だ。動物、植物だけではない。土は河川が長い年月を掛けて上流から運んできたもの、しかも現代においても「土壌」は科学的にほとんど解明が不能、多くの謎を秘めた物質なのだ。
宮戸の斜面林、新河岸川の川辺を散策したい
東京都水道局の朝霞浄水場に付属する施設として、火力発電、塩素製造施設が新河岸川を渡る新宮戸橋のたもとに建設される(前号の記事を参照)。
秋ヶ瀬で取水された荒川の水は、志木市下宗岡にある「水資源公団」の大規模な諸施設を経て新河岸川を横断、斜面林を上って宮戸の浄水場に入ってゆく。
新宮戸橋付近は、取水、浄水の諸施設に囲まれている。工事用の車が通行するための道路はあるが、川辺を散策する人は行き止まりにあい、行く手を阻まれてしまう。
新宮戸橋周辺を散策できる環境が整備されることを、江戸時代から明治、大正に至る新河岸川の盛んな舟運を偲ぶ流域の住民たちは望んでいる。
絵・記憶によって描いたかつての湧き水: 大野 進氏作品(森田家所蔵)
この絵は泉のほとりにあった「ぐみの木」と石組みの湧水を、当時を偲んで描かれたもの。
壊された湧水と湿地を細かに観察する自然保護グループの方々
新宮戸橋のたもと、右側の建設予定地には、既設の排水施設の建物が見える。