大地礼賛
台地を流れて迸る水
「新河岸川系環境連絡会」の活動
柳瀬川、黒目川、白子川をはじめ、幾つもの河川の水は武蔵野の台地を流れ、迸る水はついに新河岸川に注ぐ。この水は、さらに荒川と合流して東京湾へと向かう。
この流域に住んで水と緑のまちづくりに関心をもち、活動しはじめたいくつもの市民グループがある。それぞれ身近な川の水質・環境の調査を始め、平成六年(一九九四)、この活動は互いにネットワーク化されたが、平成十一年には「新河岸川系環境連絡会」と名称を改め、組織的な活動の輪をつくりあげた。この会は、東京北多摩、埼玉南部の市民団体、生活クラブを核として、自主的に参加した小、中、高校の先生と生徒を加え、五十団体を越えるまでに成長した。
新河岸川の水は荒川、多摩川、そして利根川とも繋がる
新河岸川は江戸時代から明治、大正にかけて、川越と東京を結び、物資を運ぶ舟運が盛んであった。このころの新河岸川は、川越の伊佐沼から流れ出ていたが、その後川越の町をぐるりと廻るように掘り進められ、今では入間市の笹井堰等から入間川の水を引き人れている。また秋ケ瀬取水堰から取水された荒川の水の一部が、新宮戸橋際から新河岸川(及び下流の隅田川)の浄化用水として流されている。
一方、狭山丘陵から流れ出ていた柳瀬川の上流は堰止められ、多磨湖、狭山湖となり、多摩川の羽村取水堰から引き入れた東京都の水道用水の貯水池となった。その下からわずかに漏れ出た水が、現在の柳瀬川の源流になっている。
三百五十年も前から、野火止用水として新座市を流れ、志木の市街を通って新河岸川に注いでいた水も、同じく羽村堰から分水された多摩川の水だった。現在、柳瀬川には新座と清瀬の境界付近にある東京都の下水処理場からの排水が、大量に流れているが、この水も、元をたどれば多摩川の水だ。
いまの荒川は、昔は入間川だった。三百七十年前には越谷方向に向けて流れていた荒川(現在の元荒川)を、熊谷付近から入間川の支流につなぎかえたため、荒川には秩父からの水が流れるようになった。
現在では、東京の水道水を賄うため、群馬県境の利根大堰から武蔵水路を通って利根川の水が荒川に大量に流れ込んでいる。
新河岸川の水系には、このように、利根川、荒川、多摩川という関東の三つの代表的水系の水が集められ、複雑に繋がっている。
川の水の調査は、まず観測地点を決め,水質の分析を一斉に行ない、そのデータを集約、整理することから始まる。身近な川の組織的な調査結果によって、私たち住民の環境を保持、改善しようとするものである。調査は、生息する魚類、河川形態、河床、河畔の状況、地形、地質をも含み、科学するこころをも養おうとするものだ。
電気伝導度(EC)、化学的酸素消費量(COD)、亞硝酸性窒素、アンモニア性窒素、界面活性剤(MBAS)については、数値の高いほうが汚れが大きいと考えられる。ペーハー(pH)は、中性を示す7を基準として、大きいとアルカリ性、少ないと酸性が強くなる。
透視度は、数値が高いほど透明でよく見えるので、一番上を0とする。
測定の地点によって値は大きく変化するが、水源は良くても、流れ込む排水とその処理によって下流は汚れが目立ってくる。黒目川の笹橋、妙音沢や黒目川と合流する落合川の湧水の透明度は高い。
今度の調査で特筆すべきは、流域の天然河岸(河畔林をもつ土の河岸)の保全と復元の検討である。改修などの人為が加えられず、そのままの状態を保っている河岸では、河畔林が発達し、生物の生息、移動の場となり、地域の風景を構成する要素としても掛け替えの無いものだ。天然河岸の特徴・役割を明らかにして、保全に取り込むことは、今後の大きな課題となった。
参考資料
1:「新河岸川系身近な川の一斉調査報告書、2002」、新河岸川水系水環境連絡会、
朝霞市西弁財1−7−17−3F TEL/FAX 048-466-0916
2:天田 眞:水と緑のまちづくり(1)、志木タイムス、平成10年第13号
写真1、2 黒目川の要所、妙音沢と流れ込む湧水
写真3 黒目川の下流、「岡橋」から東上線方向を望む。