「リテラシー教育」はこれでよいか?

 最近文化庁が行なった、読書についての世論調査によると、「まったく読書をしない」と答えた人は全国平均で37%だった。地域差について、手軽に本が買えるか、通勤電車の中で気軽に本を開くことができるか、などの違いも考えられる。
いまの人は本を読まない、本屋さんで本が売れない、といった傾向を嘆く向きは少なくなかったが、データとして示された、著しい読書離れ、文字離れの実態は、各方面に衝撃を与えている。まさに国語教育の危機といってよい。
 
「リテラシー教育」の重さを問う

 「リテラシー」の意味を辞書で調べると、literacy = ability to read and write とある。「読み書き」の能力のこと。文盲であった古から、字を読む、書くは、教育の基幹であるが、読み書きの能力を備えることは、かつては地位の高さをもつものに限られていた。庶民がその教育に浴するようになったのは、「寺子屋」からである。明治時代に寺子屋は小学校になり、かなり高度のリテラシー教育が普及し、わが国の知的レベルは一層高く、その普及も急速に進んだ。
 いま教育についての関心が著しく高くなって、子供にはできるだけの教育をと考えている。また学校では良い成績を取ることに熱心だ。だが教育の基幹である、「リテラシー」に目を向け、「本を読むこと」「文章をつくること、書くこと」の訓練にはもっと力を注ぐべきではないだろうか。

 「メディアテラシー」をどう捉えるか 

現代は「メディア」の時代である。読み書きに加えて、幅広いメディアの恩恵を受けることになった。そこで「メディアリテラシー」が新しい課題となった。「メディアリテラシー」は、メディアを批判的に読み解く能力を指す。
 中学校、高校の生徒が職員にマイクを向け、その様子をビデオカメラで撮影する。インタビューの様子は編集されて、学内の「番組」に組み込まれる。また学内で新聞をつくることも、ホームページをつくることも、「物事を一方的には見ないで、裏からも、さらにいろいろな角度から見ることが大切である」ことを体験する機会になる。総合的な学習が重要になってきた学校教育で、「メディアリテラシー」への期待はさらに高まるに違いない。

 


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