平地林ハケノヤマは消えた
朝霞市浜崎、朝志ヶ丘に広がっていた広大な平地林「ハケの山」が大規模な開発のために突然消えたのは、昨年三月のことだった(本紙3号、2002年4月)。
徳川将軍の鷹狩りの時代から、四季折々の静かなときを刻んできたハケの山は、大正時代に入ってすぐ、東武東上線が開通した折りに分断されたが、線路に沿って、緑の安らぎの空間を形作ってきた。志木駅に近く、これと一体になった緑の景観、四季折々の変化は、乗車する人々、特に通勤者の心を和ませ、この一帯には樹木の芳しさが漂っていた。
この計画が明らかになるや否や、近隣の住民は立ち上がり、署名活動も始まり、事業者との協議、行政への陳情が行われた。抗議のアピールも繰り返された。ついには樹木伐採禁止を求める仮処分が裁判所に申し立てられた。
しかし、朝霞市は開発許可を出す。たちどころにかけ替えの無い平地林の伐採が始まり、大規模な高層住宅の建設はみるみる立ち上がっていった。
状況は慶応高校の寮跡地の開発とは大きな違いを見せた。
惜しむべし、かけ替えの無いハケの山の消失、歴史を刻んできた平地林の伐採。
行政と事業者、そして住民の三者に、自然、景観に想いを馳せ、緑を後世に残す決意に何がしかの弱さはなかったか。
「ハケの山」開発の現場
東武東上線の線路に沿って建設されるマンション582戸
かつてのハケの山