この人
 柳沢吉保

 

万治元年(1658)  江戸市ヶ谷に生まれる
延宝三年(1675)  18才 家督相続
 禄高 五三〇石
元禄元年(1688)  31才 諸侯に列し、若年寄上席となる  
 禄高 一二〇三〇石
元禄七年(1694)  37才 川越城主、侍従、老中格となる
 禄高 七二〇三〇石
元禄十一年(1698) 41才
 近衛少将、老中筆頭(大老格)
 禄高 九二〇三〇石
 

 


 柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は江戸時代元禄の世に五代徳川将軍の下で異例の出世を遂げた人物で、川越城主となり、大掛かりな三富新田の開拓を進めたことはよく知られている。
 この開発行為は、江戸期における農業の振興事業として、歴史に残る偉業であるが、特に雑木林の落葉を利用する循環型農業は、いまや世界的な注目を浴びている。

 開拓地は川越の南へ三里、上富(現三芳町)、中富、下富(現所沢市)に広がる東西33町、南北 町に及ぶ原野で、1300町歩(1300ヘクタール)に及ぶ広大な区域であった。
 それまでの三富の一帯は、山林を含む野原で、住民の多くは秣(まぐさ)場として秣や茅などを採取し、野銭、草銭という負担金を税としていたが、入会権が複雑に絡み合ったので、農民の間には利権争いが絶えなかった。
 開拓は、まず道路を縦横に開き、土地を区切り、農道と屋敷とを仕切り、三年を経て、元禄九年(1696)に完成、当時の検地帳によると、上富、中富、下富村を合わせて241戸もの農家が入植した。

 以上は郷土史への造詣が深く、特に山梨の郷土史のエキスパートとして知られる野澤公次郎氏が書かれた「柳沢吉保の実像」(みよしほたる文庫3、三芳町教育委員会発行)を参考にして記述した。

 

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