都市化の課題・・・
人と自然との共生を考える

黒目川の河岸段丘
「妙音沢」の緑地保全


 すでに本紙六号でも取り上げたが、豊富な植生、湧水で知られる新座市栄の黒目川沿いの斜面林を天然記念物に指定するよう求める声は、市民グループの活動、署名運動によって高まりつつあるが、なかなか指定の手続きは進んでいないようだ。
 その間に土すべりやゴミ捨て、自生する貴重な動植物が心ない人によって踏まれ、抜き取られ、危機は迫ってきた。

 このたび新座市は、栄一丁目の斜面林(妙音沢)約三・三ヘクタールを、環境保全型の緑地と位置づけ、緑地保全地区に関する都市計画決定を行うことになり、去る十一月二十六日から十二月十日まで市民に対して計画案の縦覧を行った。
 
 計画された案は十二月下旬の都市計画審議会で承認され、ようやくこの地域の保全のスタートが切られた。
 妙音沢は、黒目川の右岸段丘の一部で、市場坂と油面坂に挟まれた斜面林である。低地から眺めると大きなグリーンベルトの緑地景観をもつ。
 
 空から眺めると(航空写真を参照)、妙音沢は、池田三丁目から北の栄一丁目に向かって走る一筋の森が黒目川に接した地点に当り、その西側を新座高校のグランドが占める。黒目川の下流に延びた斜面林の上は新座市営墓地、その東には広大な陸上自衛隊の朝霞駐屯地、訓練所が広がっている。かつては左岸に農家が点在していたが、丘の上は山林であった(明治時代の白地図を参照)。

 妙音沢の森には豊富な湧水が流れ、二つの沢として大沢、小沢を形成している。
 斜面林の植生は、スギ、ヒノキ、サワラなどの人工林とコナラ、クヌギ等の落葉樹の二次林からなっており、確認された植物の種類は400種にも達し、貴重なカタクリ、イチリンソウ等の群生が見られる。

 この沢は、江戸時代には滝見の参道や茶店があったと伝えられており、この沢にまつわる沢山の話から、歴史的な地域であることが分かる。
しかし戦後は斜面林上部の平坦地一帯がすべて住宅となり、緑地保全区域の一部には、駐車場や資材置場などが設けられて、保存地区域をこれからどう管理してゆくか、多くの課題を抱えたままのスタートである。

 最近埼玉県の整備事業として周辺に掲示板が立てられた。
 この地域は掛け替えの無い貴重な自然を残しており、心ない人々によって決して荒らされてはならないこと、と同時に、崩壊の危険に曝されていることなどを近隣の住民に告知している。言葉を変えれば、貴重な妙音沢の自然を保全するために、地域の住民の方々の積極的な協働を訴えている。自分たちの隣地を守る気持ちは絶対欠かせないのだ。

 緑地保全地区として計画された地域のほぼ半分はすでに新座市が取得しているが、残る半分は民有地である。この都市計画に対して地主の方々がどう考えるか、その理解を得る努力が為されなければならない。
 計画書によれば、所有者からの買い入れについての配慮も、この計画の中にはすでに織り込まれているようだ。

 残念ながら、崖崩れを防ぐため、沢の各所に石組みが施され、歩道や手すりが設けられ、貴重な自然は、刻々と姿をかえてゆく。人と自然との共生をこれから真剣に考え、行政と市民は貴重な遺産を残すために英知を注ぐべきだ。


1:明治二十年発行の白地図を一部着色したもの

2:航空写真(昭和58年11月撮影)/空から見た埼玉28市、日本交通公社出版事業局、昭和59年発行

3:妙音沢畔から市場坂の鉄橋を望む

4:妙音沢付近の断面を示す模式図(埼玉県土整備事務所の掲示)

5:急傾斜崩壊危険区域を示す掲示

6・7:大沢の湧水

8:人工の石組みと、小沢に迫る住宅

 


黒目川は朝霞市膝折へ

 新座市馬場二丁目、畑中二丁目を流れる黒目川の右岸、陸上自衛隊の段丘の下には、妙音沢から途切れながら一筋の森が続き、朝霞市膝折に入ってゆく。
 そこには氷川神社の森があり、自衛隊の段丘の崖からは湧水が流れている。水量は随分減ってしまったが、かつては滝のようであった。
昔ながらの神社の境内には静寂な空気が満ちている。

 ここからは離れて下る黒目川の河畔には、水車が動き、いくつもの伸銅工場が稼動していたが、
今、その多くは高層の住宅となって、景観はまったく変わってしまった。

写真:氷川神社の鳥居。奉納した方々の中に、膝折の伸銅業、徳生家、奥住家などの名前が見られる

写真:黒目側の右岸には、かつて伸銅業が栄えた

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