佃堤(つくだづつみ)

 宗岡村(現上・中・下宗岡)は、荒川・新河岸川に接しているため、昔から水害を被ることがたびたびありました。
 江戸時代には、延長八六○三メートルに及ぶ村総囲堤を築き、村全体を堤で囲み洪水を防いでいました。
 佃堤は、そのうちの一つで、上流の南畑村(現富士見市)方面から流下する水を防ぐ目的で、正保年中から寛文の初め(一六四四〜一六六二)頃に、当時この地を治めていた旗本岡部氏の家臣白井武左衛門によって築かれたものといわれています。

 堤は、高さ平均一.二メートル、延長一二三八.八メートルあり、他の堤とは異なり八箇所の屈曲を持っていました。これについては、諸説がありますが屈曲をもうけることにより流下する水の勢いを分散させたものと考えられています。
 昭和二十七年に行われた耕地整理などによって、その大部分が姿を消し、現存するのは約三○○メートルを残すのみであります。

 平成三年三月三十日

志木市教育委員会

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