菅沢の佐藤家
―新座市域の貴重な民家―
佐藤家は、江戸時代の中頃から菅沢村(いま新座市の北西に位置する菅沢地区)の名主を勤めた。茅葺き、寄棟(よせむね)造りの母家は天保十年(1839)、古文書を所蔵する土蔵は同十五年に建築された。さらに屋敷林を加えて、江戸時代後期の景観をいまに残している。
新座市内には、かつて多くの古民家、屋敷林が残されていた。しかし急速な都市化の波に洗われ、往時の屋敷は立て替えられ、伝統的な屋敷林や母家の多くは失われてしまった。
いまの志木街道はかつて「奥州道」と呼ばれ、江戸時代には、甲州街道と日光街道を結ぶバイパスの役目をもち、大名も往来した往還であった。佐藤家(当主は善信氏)は、この往還に面していて、優しい茅葺きの屋根は、この道を通行する人々の目をいまも和ませずにはおかない。
写真1 佐藤善信家の屋敷構え
写真2 母家の断面図
写真3 同土蔵
記事、写真2・3は、新座市教育委員会のホームページから引用しました)
跡見学園は東京都文京区に設立され、女子教育の名門として知られているが、昭和40(1965)年、新座市中野一丁目、柳瀬川左岸の所沢台地の縁辺部に土地を取得して新キャンパスを建設、四年制大学として新しいスタートを切った。
従来の学部に加え、昨今では経営を目指した新学部「マネジメント学部」を設置して、社会的な貢献を目指す教育への意気込みが見えてきた。
この大学キャンパスの建設工事のさい、グランドほか二地点を発掘調査した結果、縄文時代の住居跡などが発見され、また時代は下り、古墳時代、平安時代の土器、瓦なども出土した。
新座市域の貴重な遺跡の一つ、「西上遺跡」として登録されている。
跡見学園
写真1
英橋(はなぶさばし)を越え、急な坂を登る。跡見学園のキャンパスは左手の崖の上に立地している。
写真2
正面入口は激しい交通路の川越街道に面していて、通学のためのバスはしばしば立ち往生する。