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戦後はまだ終わらない


 大和田通信所はいま東京防衛施設局の管理下にある。同局が通信所の周囲のフェンスに取り付けた掲示から、その範囲は新座市の富士見新道の東と西に拡がる広大な地域であることが分かる。西側の大部分はフェンスで囲まれ、新道に面して、そのほぼ中程にゲートが設けられている。

 日米の協定によって、この地域はいまでも横田基地の米軍が占有しており、米軍から要請があると、東京防衛施設局が土地、建物施設の工事を行なうという流れになっている。フェンス内の土地所有は、国有地と私有地とが混在しているが、私有地は各戸で国と賃貸借契約を結び、そのさい土地の利用には制限が設けられている。国からは借地料が支払われるが、一方地主は市に対して固定資産税を納付するという仕組みだ。
 フェンス内の土地所有者に対する制約のためか、現在西側全域で耕作は行なわれておらず、武蔵野に残された山林の混じった広大な原野が拡がっているだけだ。 

 一方東側に目を向けると、西側とは大きく異なり、その北地域はすでに市有地になっていて、総合体育館などのいくつかの施設が設けられ、住宅、工場も散見される。点在する農地は耕作され、防衛施設局のフェンスや掲示は東側には見られない。西堀公園や野火止用水の水路も制限地域内にあるが、制約を受けているようには見えない。西側とは全く異なっている。
 しかしこの地域内の土地所有者は、市当局の企画課を通して防衛施設局に伺いを立て、米軍との協定に照らして、自宅の改修を行なうという厳しさが残されているようだ。

 新座市で制限地域を担当するのは企画課、居住する市民は、家屋の改修にさいして、ここを窓口として防衛施設局にお伺いを立てなければならない。

 本紙はまだ戦後が色濃く残されたこの地域の情報の開示を、東京防衛施設局と、新座市の計画課に対して求め、新しい道を歩き始める手引きとしたい。継続して取材を続けたい。

 

 

 

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