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上 高橋家の長屋門
下 掲げられた伝統の家紋「竹に笠」



1・明治二十年発行の白地図を一部着色、現状を加入したもの


2・宮戸一帯の航空写真(昭和58年11月撮影)空から見た
埼玉28市、日本交通公社出版局、昭和59年発行

改築前の高橋家の長屋門
かつての宮戸河岸


写真1 宮戸河岸の高橋家(朝霞市博物館所蔵の写真)は宮戸橋のあたりに在った。

写真2 当時の河岸の風景を推測して作られた模型(朝霞市博物館所蔵)
宮戸橋付近
写真3 交通量がきわめて多い「宮戸橋」。急な坂を登ると左側には「宮戸神社」の社殿がそびえる。
写真4 「宮戸橋」から上流を望む。左側には斜面林。朝霞市の保護地区指定(平成2年指定1‐1)で、整備は行き届いている。この林に沿って、かつては野火止用水が引き込まれていた。いまは「生産緑地」となって貴重なみどりを残す。
写真5 新河岸川の土手は最近鋪装されたが、自動車の通行は無い。土手を行くと志木市に入り、通行は止められて、砂利道になるから。かつての野火止用水は、慶応志木高校の校庭からもとの「大原」を経て、宮戸三丁目と志木市本町二丁目との境界に沿って流れ、その一部は、ここで新河岸川に入った。
写真6 天明稲荷神社
東京都の浄水場
写真7・8 いま宮戸のほぼ中央を占めるのは、広大な東京都の浄水施設。都民のくらしを支えるために、新規の施設が活発に建設され、その姿を急速に変えつつある(参考資料・本紙第6号を参照)。
宮戸から志木市に
写真9 かつて、宮戸から志木に通ずる道は、野火止用水を石橋で渡り、現在の「大原町内会館」の辺りから急な坂を登って「江戸道」に繋がっていた。角には「車大工」が店を構えていた。すぐ前には「床屋」があって、さらにずっと進むと大通りと交わる。その角(いま水車のモニュメントがある辺り)には「上の水車」があった。
しかし、いま宮戸から志木に向かうとき、「昭和新道」の坂を登ると、角には「三角床屋」の名で親しまれてきたヘアサロン。
右に入る小道は「江戸道」で、引又宿(昔の志木)から江戸に通じていた。

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