地図1(右) 和光市の「湧き水と緑地マップ」より引用、2002年4月発行。
地図2(右下) 航空写真(昭和58年11月撮影)/空から見た埼玉28市、日本交通公社出版事業局、昭和59年発行(東京外環自動車道は未だ造られていない)。 地図3 古地図、旧地理調査所発行、「東京西北部」1:50000 白地図、明治42年測量、昭和4年、同31年修正。 |
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写真1 旧川越街道と交わる「浦和新倉道」はここからはじまる。 この道は延長され、新川越街道(国道254)を横切る。さらに右折したのちすぐ左手は、市民文化センター「サンアゼリア」、和光市役所に通じている。新倉道はいま和光市駅から市政の中枢部への動脈となっている。 写真2 振り返って和光市駅を望めば、右に和光郵便局(かつては鈴木左門氏の居宅)、その向かいは現在の鈴木家の居宅を経て、「うけら庵」(江戸時代の文人が多く立ち寄ったが、現在は立て替えられて地域の集会に使われている)に通じている。 写真3 「浦和新倉道」を完成させた「道路村長」鈴木家の居宅は、かつてこの和光郵便局の敷地に建っていた。写真は「道路村長さん(鈴木左内―その業績と想い出)」、平成9年、鈴木勲二発行、さきたま出版会より引用させて戴きました。 |
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写真4 和光市駅に近づくと、激しく変貌した街の息吹が漂う。モダンなまちづくりが進む。「浦和新倉道」は、自動車がひしめく東上線のガード下をくぐる。かつて「新倉駅」はこの辺にあったが、いまの和光市駅は池袋寄りに移動している。 写真5 東京外環自動車道を横切って進むと、急勾配だった崖線を下ってゆく。「浦和新倉道」はしかし盛り土によってなだらかにされ、かつての「せつねエ坂道」は、和光高校に向かってバスが通う大通りとなり、その先の切り通しを越えてゆく。右手の丘の上は「新倉小学校」が、また左手の丘の上は「東林寺」が占有する。振り返ると新倉小の丘の下側はモダンな住宅地、ここを谷中川が流れる。 写真6 バス通りを潜って道を越えた谷中川の上の丘には、柿ノ木坂児童公園がある。その背景となっているのは、周囲を威圧するような白い高層外環道路のトンネルだ。 写真7 左手の「東林寺」の丘の北側をしばらく行くと、新倉氷川八幡神社に着く。社殿の右手に、3回にわたる「浦和新倉道」完工を祝う三段重ねの記念碑が建つ。 |