準備号4面
:第1回

大江健三郎さんのエッセー集『「自分の木」の下で』 がベストセラーになっていますが、この本が表題とした「自分の木の下で」から、
人は皆自分で納得できる道を歩んでゆかなくてはならない という著者の強い意志が伝わってきます。 
それは「あくまで『自分』というものを持って、世間というものに飲み込まれてしまわぬように」というある種の教訓とも受け取れるものです。

 『ヒント』欄第一回目は、このエッセー集の書名にあやかり、「世の中がどう変わっても、変わらぬ自分の道を開拓して行きましょう、
それこそ本来人がするべきことなのですから…」という考えを主眼にすえ、
そのために読者のみなさまに少しでも役立つ事項を無作為に取り挙げてみたいと思います。

  1. 自分の身体は自分で守る「インフォームド・コンセント」

    「インフォームド・コンセント(説明と同意)」とは、医師に相談し、説明を求めることを言います。病気になったとき、
    気分がすぐれないときにはお医者さんに掛かる、その費用は保険の適用を受ける…といったプロセスはごく当たり前の流れになっていますが、
    多くの場合、簡単な診断結果の説明、治療の心構え、薬の処方箋の交付で初診は終わります。

    医師が診察結果などを記録することは義務付けられていますが、患者に対しての説明は簡潔な場合が少なく有りません。
    多くの場合、 次の患者さんが後に控えており、余程神経の太い方でないと、もっと詳しい説明を求めることはなかなかできないものです。

    しかし病気の軽重に拘わらず、自分でより突っ込んだ質問ができず、納得しないまま治療を続けることの危険性は非常に大きいものです。
    事実、思うような治療効果が得られない上に、診断・治療法の誤りが致命的な事態を生んでゆくこともしばしば起こります。

    患者と医者。その間に実は大切なプロセスが欠けているのです。それが「インフォームド・コンセント」です。
    自分の身体は自力で直すというと言い過ぎになるかと思いますが、治療をする際に、自分で納得してから治療をスタートさせることは、
    自分のためにきわめて大切なことです。指針が無ければ病を克服して快方に向かわせることは難しいことです。

    「インフォームド・コンセント」というコンセプトはアメリカで確立され、わが国でも何年も前から健康保険に適用され、その点数も決められています。
    それなのにわたくしたちはよっぽど恥ずかしがりやなのか、あるいはこのような謙虚さが日本人の美徳なのか、
    それほど利用者が多くないような気がします。
    ですが自分の身体を自分で守るためです。謙虚さを抑えて、少しでも納得した上で治療に当たるのがベストではありませんか?

    (デジラブ記)

  2. ワークシェアリング

    シェアリングの時代の到来?

    若い女性が友達と一緒にアパートやいわゆるマンションの一室を共同で賃借り、一緒に暮らす、といったシェアリングは、目新しいものではない。
    シェアリングによって賃料や、光熱費などの経費を節約し、多くの利便性を共有することはきわめて合理的な暮らし方である。

    特 に若い女性が一人で住む場合には、外部から侵入される危険もあるので、シェアリングによって身を守ることができる。

    ところで、同じ大学の学生がシェアすることは少なくなかったが、最近は若い男性一般が同様のシェアリングにより利便を得る例が増え、
    以前は同居と言われてきたような、単に飲食、居住を同じくするにとどまらず、例えばパソコンやインターネットを共同で使用することから、
    互いの知的交流、技能の相互利用などに進み、知識の共有、相乗的な効果をも期待できるようになった。

     住居だけではなく、身近なものとして通勤、通学の足となる自転車、自動車をシェアすることもあり、
    一般的な市民の暮らしの中にも入ってくるかもしれない。

    もっと重要なシェアは、雇用不安の解決策としての 「ワークシェアリング」である。
    1人あたりの労働時間を減らし、仕事を分け合って雇用を維持しようというものだ。まだ企業一般には広がってはいないが、
    例えば外資系航空会社の乗務員はお互いに話し合って減便のため余った仕事を分け合うことによって、友人の解雇を回避したし、
    公務員のワークシェアリングとして、まず残業を規制、その代わりに非常勤嘱託を採用して就職先が見つからない新卒、既卒の若者を雇う
    兵庫県の方式は現実のものとなり、新たな雇用対策として注目を浴びている。

    兵庫県は職員の残業を減らすため、98年に毎週水曜日を定時退庁日と定め、電灯の一斉消灯を決め、残業代約5%を節約する一方で、
    非常勤ではあるが、原則1年、週30時間の契約で採用されたフリーターは、実務経験をつぎの就職に生かす夢を育てている。
    若者の職業の創出につながるか、この方式の今後に期待したい。

    (翔太記)

  3. 「フリーター」は自由の旗手となるか

     高校を卒業した若者の多くが、まずは『アルバイト』 で働く。それから次の仕事を目指す。アルバイトの語源はドイツ語、
    働くという意味のことばであるが、戦時中ドイツ語に初めて触れた旧制高校生が好んで使ったことが起源となった。

    「フリーター」と自らを呼ぶのは、「フリーのアルバイター」を短縮した80年代の造語とのことだ。
    ”組織に縛られない自由な生き方 ”を求めて、”保証の少ないアルバイトとしての雇用をあえて選ぶ”若者は、その後も増え続けている。
    自分に対して忠実な道である、リスクを恐れぬ若者らしい生き方という見方もできる。

    ただし実際には企業が人件費の削減のため、正規の雇用である所謂「社員」の雇用を減らし、
    それと半比例してフリーターを採用するという風潮のなせるわざである。 企業の業績の低迷に伴い、終身雇用が崩壊しつつある今日、
    職業決定の仕方はまったく変わってしまったのである。企業がフリーターを求める時代の要請は変わらないと思われる。

    人は自由を求める。自由であるための条件は何か。自分の才能を生かして自分の道を歩む。
    痩せ細った職業人への道を、フリーターがまったく新規に作り直す、といった新しい時代になると予測する人もいる。

    (直哉記)

  4. 自分の木の下のIT

    「IT(information technology) 社会を目指せ!」は現代日本が本気で唱えている掛け声である。

     パソコン、インターネット、ホームページ、e‐メール、i‐モードを使えないと肩身がせまい、まるで遅れた人間と見られかねない。
    ところで日本のインターネットの政策は、通信回線の機能の増強など、何かとハード面に力が入る。
    しかし如何に通信回線が高速化しても、内容が伴わなくてはまるで意味をなさない。

    日本の公共事業は、いわゆる「はこもの」の建設事業にのみ目が向けられていることは周知であって、地方の町にさえも、
    巨大な音楽ホールや美術館などの文化施設を建築しながら、そこでの催しは淋しいものであったり、不相応であったりすることも少なくない。

    IT社会が同じように「はこもの」の増強では困る。パソコンを買ってしまい込んではだめ。自分のやろうとすることをしっかり見定める。
    自分の木の下でパソコンを仕事に生かす。わたくしのお奨めは、パソコンに先ず触ってワープロを使ってみる。 つぎに表計算をやってみる。
    画面上で絵か写真の修正をしてみる。いま代表的なのはソフトは「ワード」、「エクセル」、 「フォトショップ」というところになるか?
    そしてインターネットの中を覗いてみる…ヒントと してのお奨めは「超」シリーズで著名な野口悠紀雄先生の本とホームページ。
    たとえば、『パソコン超仕事法(講談社)』、

    http://www.noguchi.co.jp/

    そのコンテンツは…  
    インターネット情報源 /インターネット「超」活用法 /日本と海外の新聞、雑誌 /オンライン雑誌 /日本のテレビ局 /政府と大学など。

    (デジラブ記)。


大江健三郎著
「自分の木」の下で
(朝日新聞社刊)

ノーベル賞受賞者の大江さんの著書は内容が堅くて、すらすら読めるような大衆性が乏しいので、近づこうとしない方が少なくない。
しかしこの本は少しばかり違っています。

何故かというと、はじめから子供にも読んでもらうことを意識して、平易に書きつづることを心掛け、
そして自分が子供であった頃にもどって素直に書き綴ったエッセー集です。

表題とした「自分の木の下で」から、 ”人は自分で納得できる道を歩んでゆかなくてはならない ”という著者の意志が伝わってきます。

著者が小学生のころ、太平洋戦争下のことですが、当時は国民学校と呼ばれていた小学校で、先生は天皇は”神”である、
そう信じなさいと教育されていました。その写真に礼拝させ、アメ リカ人は鬼畜だと言っていました。ところが戦っていた相手の国、
アメリカ軍が日本に進駐するやいなや、その先生が、まったく反対のことを言い始めたのです。
これまでの考え方、教え方は間違っていたとはいわずに、ごく当り前のように天皇は人間、アメリカ人は友達だと教えるようになったのです。

進駐軍の兵士たちが、ジープに乗って谷間の小さな村に入ってきた…その村に生まれ育った生徒たちは、手製の星条旗を振り、
ハローと叫んで迎えたのでした。このような光景は全国のいたるところで見られたのです。

子供の大江さんはこのような雰囲気には馴染みませんでした。彼は学校を抜け出して森に入っていったのです。
高いところから谷間を見渡し、ミニチュアのようなジープがやってきて、豆粒のような子供たちがハローと叫んでいる、その声をききながら涙を流しました。翌朝から、学校へ向かうと、すぐ裏門を通り抜けて森に入り、夕方までひとりで過ごすようになりました。
秋のなかば、強い雨が降る日も、森の中に入りました雨はさらに激しさを増し、 夜になっても谷間に降りて行くことができなくなりました。
発熱してしまったのです。そして村の消防団に助け出されました。

森の中には「自分の木」と決められている樹木があって、人の魂はその木の根元に宿っているという、
大江さんの祖母さんのお話しを聞いて、彼は「自分の木」の下に立ち続けることに目覚めたのです。

(キラリティ記)

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