緑のまちづくりは確かな足取りで
慶応志木高校寮跡地の緑を保全するための三者協議は合意に
本紙がこの開発計画の取材をはじめたのは、2002年11月(本紙6号)のことであった。
「慶応高校の緑に想いを寄せる会」が11000名に達する署名を集め、行政当局、事業者と住民が対等な立場で協議するという全く新しいプロセスがスタートして一年半がたつ。
多くの議論が交わされたが、いまその実は結ばれようとしている。貴重な緑の中核を為す「斜面林」を保全する三者の協議は、このたび合意に到達した。
慶応志木高校寮跡地の開発の三者協議では、緑を残すためのワークショップが8回も開かれ、既存樹を詳細に調査して保存計画を立て、これと調和する建物を設計するという考え方が取り入れられた。大型の宅地開発において、このような経過で緑を保全することになった事例は稀であり、モデルの一つになるものと思われる。
三者協議では、「志木市緑の基本計画」に沿って、「次世代に継承する森の保全と育成」を開発のコンセプトとして議論が進められた。
「緑を想う会」のメンバーには、市の基本計画の策定に関わってきた方、行政との両輪で自然保護活動をされてきたNPO「エコシティ志木」のメンバー、慶応高校で教鞭を取り、あるいは長く近隣に住み、慶応高校以前、松永安左衛門氏の率いる東邦産業研究所、後のサンケン電気に勤めておられた方々など、緑の保全に並々ならぬ熱意をもった市民の方々が全力を傾注した。
去る7月30日、「緑に想いを寄せる会」は、志木市長に対して、つぎのような要望書を提出した。また同様の要望書を8月12日に、事業者の三井不動産株式会社、三菱地所株式会社に対して提出した。以下はその要旨である。
要旨
事業の計画段階から市民の声に耳を傾け、旧寮跡地の<みどり><歴史><想い>をキーワードとして、自然と共生する生活空間の創出と地域への発信に向け、次世代へ遺贈する杜、森の保全と育成をコンセプトプランとすることを受け入れられたことに敬意を表します。
誠実かつ真摯に住民との対話を重ね、「緑のまちづくり」を支援し、ときには英断を下されたことに対して深甚な謝意を捧げます。
協議の結果、キャンバスのシンボルであった株立ち大銀杏を含めて、六割を越える緑の保全に辿り着くことができました。
残された斜面林の緑の維持と管理は今後の大きな課題ですが、いままで続いてきた三者の信頼関係を土台として、市民、行政、事業者が担う役割と方法、さらにその仕組を共に見出し、力強い協働のもと、「森の緑」「歴史の緑」が継承されるよう希望しています。一層の支援をお願いします。
慶応高校寮跡地斜面林の保存計画
工事中の寮跡地、中央にシンボルの銀杏
植樹五十年養人百年
耳庵九十二
「耳庵」は松永安左エ門氏(1875〜1971)の号
この書は、「慶応の緑に想いを寄せる会」の熊谷 晃氏が、東邦産研電気(株)に入社の折、松永氏から受領されたもの。
慶応志木高校の敷地は、(財)東邦産業研究所であったが、理事長の松永氏から慶応義塾に寄付された。
東邦産研電気(株)は、ここに設立されたが、後に新座市に移転し、(株)サンケン電気となった(詳しくは本紙六号、2002年11月)。
平地林ハケノヤマは消えた
「ハケの山」開発の現場
東武東上線の線路に沿って
建設されるマンション582戸
かつてのハケの山
徳川将軍の鷹狩りの時代から、四季折々の静かなときを刻んできたハケの山は、大正時代に入ってすぐ、東武東上線が開通した折りに分断されたが、線路に沿って、緑の安らぎの空間を形作ってきた。志木駅に近く、これと一体になった緑の景観、四季折々の変化は、乗車する人々、特に通勤者の心を和ませ、この一帯には樹木の芳しさが漂っていた。
この計画が明らかになるや否や、近隣の住民は立ち上がり、署名活動も始まり、事業者との協議、行政への陳情が行われた。抗議のアピールも繰り返された。ついには樹木伐採禁止を求める仮処分が裁判所に申し立てられた。
しかし、朝霞市は開発許可を出す。たちどころにかけ替えの無い平地林の伐採が始まり、大規模な高層住宅の建設はみるみる立ち上がっていった。
状況は慶応高校の寮跡地の開発とは大きな違いを見せた。
惜しむべし、かけ替えの無いハケの山の消失、歴史を刻んできた平地林の伐採。
行政と事業者、そして住民の三者に、自然、景観に想いを馳せ、緑を後世に残す決意に何がしかの弱さはなかったか。