柳瀬川河畔に拡がる水谷耕地の行方は
柳瀬川に沿って拡がり、県道浦和所沢線と境を接する通称「水谷たんぼ」は、都市化の波に洗われながら、掛け替えのない貴重な耕地として残されてきた。
現代においても変わらぬ環境と景観をわれわれが享受できるのは、耕地の手入れをされてきた地権者の方々の恩恵である。
埼玉県、富士見市が都市基盤整備公団(旧住宅・都市整備公団)と一体となって計画したこの地域の整備計画は、河川調節池と計画的な新市街地をつくり、一体の都市として整備しつつ、治水を兼ねたまちづくりを目指すものであった。「リブレーヌ都市整備事業」と呼ばれてきたこの計画(リブレーヌ【riveraines】はフランス語で、水辺に住む人々のこと)がはじまったのは、16年前のことであった。
しかし公団の計画には、減歩率などが示されず、地権者は態度を明確にすることが出来なかった。しかも、その間に公団の改革が行なわれ、公共事業の見直しによって調節池事業は中止された。社会情勢も激しい変化を続けてきた。
計画は一向に進捗せず、地権者はもう待てないというぎりぎりの時期にきてしまった。
昨年5月、「水谷前耕地協議会」と「針ヶ谷南協議会」が発展的に解散して、一本化した地権者組織、「富士見リブレ―ヌ都市整備事業協議会」が発足し、ようやく実現に向けての強い意向が示された。
48%という減歩率が提示され、地権者へのアンケート調査によって、83%の方々が、この計画の大綱を支持されていることがわかった。
水谷耕地の大きな変革は進められようとしている。
問い合わせは、
富士見市都市計画課 Tel:049‐251‐2711 内線447へ
■航空写真■
(昭和58年11月撮影)空から見た埼玉28市、
日本交通公社出版事業局、59年発行。
まちづくり基本構想図
(富士見リブレーヌ都市整備事業協議会だより、
第2号、16年1月)
水谷耕地の風景。志木市と富士見市とを結ぶ「富士見橋」の下から耕地を望む。
いまの農法では耕運機などの機械を使う。
昨年までは空中散布で消毒をしてきたが、
今年は埼玉県の方針で中止されたので、
人手が掛かりそうだ。田植えはもうすぐ始まる。
野鳥にとってこの耕地は楽園。
周囲の道路の激しい交通は、ここではまったく無縁、静寂が拡がる。
規制の緩和で地域は活性化するか
「構造改革特区」とは、地域を限定して、法律などで定められた規制を緩める制度で、中央官庁の抵抗で進み難い規制改革を、促すことを狙いとしている。現在の総理である小泉氏の改革の目玉の一つとして提案され、昨年から実施されてきたものである。
地方自治体や企業などが構想を提案し、省庁が受け入れた項目について、政府の特区推進本部(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kouzou/)が策定する。特区の認定は昨年4月から4次にわたっており、すでに新座市では昨年4月第1次の申請で「国際化教育特区」の認定を受け、志木市では昨年11月に「地方自立特区」を提案して認定されている。
また本年3月、第4回の認定による「ハタザクラプラン教育特区」がスタートした。
構造改革特区の申請をきっかけに、地域を再生することがもっとも大きな課題である。すでに認定された分野をみると、教育、産学連携、生活福祉、都市と農村との交流、農業、幼児保育、国際物流など多岐にわたっているが、誕生して1年、評価はこれからはじまる。そこで真価が問われることになる。
実現は未知と考えて消極的な自治体、省庁が多いことは遺憾であるが、すでにスタートした特区での課題は、目下のところもっぱら財政支援のようだ。
新座市は、「国際化教育特区」の認定によって、今年の4月、全小中学校の全学年に英語会話の時間を新設した。
英語を身につけることによって国際化時代に立ち向かうことがその目標なのであろう。
志木市の「地方自立特区」は、経済的に苦しい地方の財政を救うための新しい取り組みで、「ハタザクラプラン教育特区」は、小学校低学年の少人数学級を、県の援助によらず、市独自の予算で実現しようというもの。
■参考■
21世紀政策研究所
http://www.21ppi.org/mintoku/
オピニオン
野火止用水を歩道にした志木市本町通りの凸凹の歩道を改良してください
本町通りは、定期バスのほか、多くの車両が通過する幹線道路です。志木駅から志木高校に通う高校生、志木市役所に向かい、また逆に宗岡方面から志木駅に向かう通勤の自転車は数知れず、志木駅方向の歩行者と送迎車を交えて、通勤時間帯はラッシュとなります。
車道は舗装され、整備もされてはいますが、その歩道は旧態依然の状況です。狭い、そして激しい凸凹、良く見ると、左右の歩道の高低差が著しく、両側の商店の地盤の高さには大きな差があります。
駅から市役所方向に向かう歩道は、交差点で車道にくい込んでおり、下ってゆく自転車はこがなくても走ります。上町から富士道にいたる左側の歩道部分は、かつて市内を流れていた野火止用水を暗きょにしたものです。その頃用水は、志木市の本町通りに沿って下り、市場通りに入ると、道路の中央を流れていました。
富士道バス停では、大通りと、これを横断する横町、富士道が交差し、いずれもが下ってくるので、交差点は丁度すり鉢の底のような地形になっています。昨年10月、志木駅方向から下ってきた高校生の自転車が勢い余って横転し、同じく大通りを下ってきた車両に接触してひかれるという悲しい事故が発生し、尊い命を落としました。路傍に置かれた献花を見ると、心が痛みます。
お金が掛かることは間違いないと思いますが、道路の管理に関わる行政の方々が、歩道の全面的な改造に真剣に取り組んで下さることを願って止みません。県道ではありますが、志木市も率先して行動すべきだと思います。
(本町商店主の願い)
●明治初年の測量図(石原家蔵)。
「志木宿」の用水路に沿って車馬が通行する道があった。
江戸時代には「奥州街道」と呼ばれていた(本紙4号・9号を参照)。
●左写真は事故現場。
友人を追悼する高校生。