新座市立歴史民俗資料館
かつては武蔵武士が活躍した新座市片山に所在、中央公民館の向かい側。
貴重な民俗資料がところ狭しと陳列されている。
壁面には、原始の生活をしのんで描かれた絵画が並ぶ。
また、時代は下がって、江戸時代につくられた野火止用水、黒目川の水車の地図、写真、模型などの展示も見落とせない。
静かな館内で過ごす時間は、必ずやあなたに安らぎを与えるに違いない。
休館日・月曜、祝日(11月3日のみ開館)
開館9時〜17時
рO48‐481‐0177
新座市片山1‐21‐25志木駅南口、ひばりヶ丘駅北口、大泉学園駅からバスの便あり「道場」又は「片山小学校」下車
大野 進さんが描かれた
尾崎水車の裏手の崖から流れる滝
尾崎水車(本紙9号)は、野火止用水で回っていた。使った水は滝となって流れ、田園に注いだ。滝の高さは約6メートル。
一面の田園には「志木ニュータウン」が建設され、崖は崩され、この地域に付設された中学校の通学路となった。
大木新司さんが描かれた
1.夏休み
庭の一隅には、つるべ井戸、そばで鶏が餌をつまむ。
2.みどりに包まれたかつての民家
三芳町、竹間沢の抜井家
(大木さんのプロフィールは本紙12号参照)
景観を創る
野火止の石川家は、新座市内でもっとも古い民家(新座市の民家、市史調査報告10、昭和60年)である。二百五十年もの齢を重ね、いまも健在。
屋敷の樹木にも心を配った佇まいは、時代を越えて川越街道を往く人々の目を癒やす。
写真・街道の向かいに平林寺の大門を見て由緒ある野火止の石川家
新座市の古民家
昭和六十年三月、新座市教育委員会市史編さん室は、新座市内に残された古民家を詳細に調査して、報告書を出版した。対象としたのは、四十軒あまり、いずれも掛け替えのない歴史的な遺産であった。
当時、教育長であった中村廠一郎氏は、序文の中で、つぎのように記している。
「昭和三十年ころの新座は、のどかな農村型の町だった。実り豊かな田畑と雑木林や屋敷林に囲まれた萱葺き、藁葺き屋根の農家のたたずまいは、まさに武蔵野の風情そのままでした。その後の経済的な発展につれて、これらの民家の多くは建て替えられました。自然に溶け込んだ民家のたたずまい、近ずくと柱、貫と壁の造り出す快調、内に入ると大黒柱などと梁との交錯する力強い小屋組、いろりを中心とした居間のいかにも生活の中心といった落ちつきなど、さまざまな美しさをそこに見ることができます。」
この調査では、市域に残る約四十軒ほどの民家を対象としたが、それから約二十年、いま残されているのは、わずかに数軒に過ぎないという。市域の発展か、遺産の保護か。嗚呼、時すでに遅すぎたのではないだろうか。
野火止の里
多くの文人が野火止を往来しましたが、江戸時代に俳諧師として名をあげた小林一茶(いっさ)も、百九十年前に、この地で見聞したことを日記に記しています。
文化五年、江戸から信濃国に帰郷する途中、野火止の素朴な情景と、作物として西瓜(すいか)について
野火止の里は 昔男の我もこもれりとありしところと聞くに そのあたりに思われてなつかしく このあたり西瓜を作る
「瓜(うり)むいてすすきの風に吹かれけり」という俳句を残しています。
新座市ホームページ「にいざ見聞録」を資料として記しました。
絵は江戸名所図会から大門を望む、川越街道の風景
写真は街道沿いに建てられた平林寺大門、つづく大門通り