市民と自然は共生できるか-「ふれあいの森」は地主の好意で-
「西原ふれあいの森」はいま
本紙7号で、西原の斜面林に復活した「せど湧水」を紹介した。武蔵野台地が低地に移るところ、かつては鎌倉街道が通い、江戸時代に入ってからは野火止用水が流れていた歴史的な地域である。東上線がこの斜面を横断し、いまでは志木市のニュータウンと、古くからの集落が境を接するところとなって、ユニークな景観をもつ。
ここに設けられた「ふれあいの森」の整備と利用は、新旧市民の貴重な接点としても期待される。しかし、長年の懸案であった西原特定土地区画整理地区内にあることから、線路側の道路建設がはじまり、森の一部は無惨にも削り取られた。
工事現場には伐採した古木の根が山積みされた(手前)。
右側の線路は柳瀬川駅に向かう
その反対側、ニュータウンから志木駅に向かう工事現場を見る
「けいおうふれあいの森」の誕生
このたび、事業者である三井不動産、三菱地所株式会社と志木市は、将来に向かって保全すべき慶応志木高校寮跡地の斜面林の一部1260?を、30年という長期にわたり、無償で使用貸借する契約に調印した。
これは近隣の住民を加えた三者協議(本紙第11号参照)を基礎とするもので、志木市はその管理にあたり、「けいおうふれあいの森(仮称)」として市民に公開する。期間満了後も、両者からの意志表示が無ければ、自動的に貸借は延長される。管理に関する協定も締結された。
このような大型の開発においては、提供公園の設置が義務づけられているが、無償で貸借される「ふれあいの森」が加えられることによって、跡地の北側および西側斜面の緑の保全は確かな一歩を進めることができた。 シンボルであった株立ち大イチョウも移植によって残され、かつてはタヌキが棲息していたことを記憶にとどめるよう、提供公園は「大原ぽんぽこ公園」と呼ばれることも決まった。
事業者とは利害を異にする近隣の住民が、行政に訴えて、大規模な開発にあたる事業者を加えた三者で積極的に協議を進め、その結果、緑への熱い想いを結実させたことは、将来に向かっての道しるべとなるものだ。
このような緑への市民の熱い想いは、どこから来たのであろうか?
その素地が、将来を見据えた卓見によって、すでにつくられていたことに注目したい。源流は、昭和51年(1976)に定められた「志木みどりの条例」に発している。
『ローマは一日にして成らず』のことわざにあるように、思いつきは後の世には残らない。
みどりの少ない志木市では、平成13年に、緑の基本計画を策定し、緑地保全のための地区指定の方針を決めたが、この計画に参画した方々が、慶応志木高校の寮跡地に残る斜面林の保全のために、近隣住民の先頭に立って行動したのだ。
1993年志木市は当時の文部省より「環境教育推進モデル市」に指定され、市民の手によって、環境基本計画を策定する機運が高まった。市民グループ「エコシティ志木」が結成され、活動をはじめたのも機を一にしている。「エコシティ志木」に、(財)埼玉県生態系保護協会志木支部の方々が加わり、それらの強力な支援によって、「慶応高校の緑に想いを寄せる会」の活動は、多くの市民の共感を得ることができた。
(財)埼玉県生態系保護協会は、年頭に、埼玉県自然保護10大ニュースを選んでいるが、昨年度の評価できる出来事ベスト2003として、慶応高校旧寮地跡の「マンション建設と雑木林の保全」を選んだ。
因みに一昨年のワースト10には、朝霞市浜崎の「ハケの山」の開発が選ばれた。その対比において落差は余りにも大きい。
志木市の「ふれあいの森」は六つに増えた
地主の好意で市当局と貸借契約を結び、整備されてきた「ふれあいの森」は、すでに「柏町」「中野」(ともに柏町)、「稲荷山」「西原」(ともに幸町)、「市場」(本町)があり、市民の憩いの場所となっている。
本紙10号に、「わたしの残したい風景」、生命のいずみ「柏町ふれあいの森」と題する松本恭子さんのエッセイが掲載されている。その中には、自然に触れる市民の、憩いの森への想いが率直に綴られている。
NPOとして「エコシティ志木」は活動する
「エコシティ志木」が産声をあげたのは、1995年のことであった。
「エコシティ志木」は、地球にやさしい街、くらしやすい街を目指して、市民の目で見る、考える「環境基本計画(ローカルアジェンダ)」を、行政、企業の参加のもとに共に策定する。さらにその目標の実現に向かって行動することを宣言している。
このグループには「水と緑」、「ごみとエネルギー」、「保健・福祉」、「まちづくり」の四つの部会があり、斜面林の手入れ、渡り鳥をはじめとする動物、植物の自然観察などのイベントを計画的に行っている。
「エコシティ志木通信」とイベントカレンダーを発行、市民に配布して、ともに活動する市民の参加を歓迎している。
連絡先:代表理事・天田眞、電話/FAX 048-471-1338
ホームページhttp://www.cc.e-mansion.com/~eco/
(財)埼玉県生態系保護協会の成り立ち
この協会は、豊かな自然に恵まれ、子どもたちがいきいきと輝くまちをつくるための環境NGOとして、1978年に設立された。
いまを生きる私たちに、未来を担う子どもたちに、豊かな自然を手渡すためのまちづくりや研究、環境教育などの活動を進めているが、会長の池谷奉文氏は、この協会を設立された由来をつぎのように述べている。
池谷氏が動物病院を開業して間もなく、天然記念物となっていた「野田のシラサギ」をはじめとして、ツバメ、ムクドリや、保護されたタカまで、多くの野鳥が持ち込まれたが、それは一帯に農薬が撒かれたためと知り、衝撃を受けた。
二百年も棲息していた野田のシラサギは間も無く絶滅し、特別天然記念物の指定は解除された。傷ついた多くの野生の鳥獣の治療にあたり、ついにはその死を見届けた池谷氏は、やがて人間にも重大な問題がおこることを予感し、先頭に立って同志を募り、この協会を設立された。
志木支部は、生態系保護の情熱をもって「慶応高校の緑に想いを寄せる会」の活動を支え、三者協議を円滑に進めるために努力された。
やがては「大原ぽんぽこ公園」となる現地のいま
斜面林の保全はされたが、巨大な高層住宅の建設は
空にも向かって進行する。
中央に移植されたシンボルの株立ちイチョウが立つ
いずれも「志木ガーデンヒルズ」のモデルルーム屋上から撮影
地域の自然を生きる
カワセミ
新河岸川の畔で後藤邦吉氏撮影