くらしのヒント/キーワード

咀嚼は全身の健康にかかわる
-咀嚼は生きてゆくための基本、もっと大切にしなければ-

 ものを食べるとき、「噛む」ということは欠かせない行為です。しかし平生の生活では、急いで食べる、余り噛まずに飲み込む、といったことが当たり前という人もいます。
 噛むときには、口は無意識のうちにも実は精密な動きをしているのです。
 左右を交互に使って食べ物を噛み砕き、すり潰しながら、唾液を混ぜ合わせ、舌が食道へと送り込みます。あごも横にずれながら咀嚼を助けます。
 こうした細かな動きは、周りの筋肉や神経とも密接に関わっていて、食べ物を十分に噛まないときには、体全体にいろいろな影響が現われます。咀嚼によって分泌される唾液の中の消化酵素は、栄養を取り込みやすくするのです。抗菌作用をもつ成分は、口の中を清潔に保ちますが、嚼む度数が少ないと、唾液が十分出ないうちに飲み込むことになるので、内臓の負担が増し、虫歯や歯周病にもかかりやすくなるといわれています。
 それだけではありません。岐阜大学医学部の小野塚実先生ほかは、噛めなくしたマウスを使って、場所を覚える能力が下がることを実験で確かめました。「日本咀嚼学会」には、歯学、生理学、栄養学を専門とする幅広い方々が参加され、咀嚼について詳しく研究していますが、人の脳の活動をMRI(本紙第12号を参照)を使って研究した結果、咀嚼するときには脳の感覚野、運動野、小脳などが活発に働くことが確かめられました。
 高齢者では、衰えた記憶力を補う脳の前頭前野が活発になることが明らかになり、良く噛むことは、痴呆(ちほう)の予防に役立つことが示唆されています。(朝日新聞、平成15年12月8日の記事を参考にして記述しました)。
 チューインガムを噛むこともボケの予防になり、また噛むことによって体脂肪の分解を促し、肥満を防ぐことが示唆されています。

参考資料:斎藤滋、小野塚実、坂田利家「咀嚼と脳の不思議な関係を解き明かす」・隔月刊「ネイチャーインターフェイス」14号、03年4月10日http://www.natureinterface.com/j/を参照。

PC初級講座
- 文書を「アクロバット・リーダー」で読む-

 インターネットのホームページを閲覧するとき、「Acrobat Reader(アクロバット・リーダー)」というソフトウェアを使って読んだり、プリントする機会が増えてきました。
 例えば朝霞、志木、新座、和光各市のホームページを開くと、申請書、提案書のほか、広報などがPDF形式で保存されており、このファイルを閲覧し、出力するために必要なソフト、Acrobat Readerをダウンロードする手順が示されています。閲覧したいPDFのアイコンをクリックすると、自動的にダウンロード・マネージャーが開かれ、デスクトップにダウンロードされるように設定されている場合もあります。もちろんデスクトップに保存された文書は、オフラインで読むこともできます。
 Acrobat Readerで閲覧するPDFは、文書の規格をもっており、紙に出力すると、公式文書として使えます。文字はもちろん絵や図なども挿入できるので、電子書類として広く普及してきました。公的機関で情報を公開する資料には、もっぱらPDFが採用されるようになりました。
 さてこのPDFファイルとは、93年にアドビ社が開発、規格を定めたソフトウェアで、Portable Document Format(どこにでも運べる文書規格)の略なのです。相手のOSやソフトが異なると、開けない、読めないという悩みを解消しようとして生まれました。PDFを読むためのソフト「アクロバット・リーダー」が97年に無償化されたため、この形式が急速に普及し、いまでは世界標準の規格といわれるまでになりました。メールに添付される機会も多くなりました。
 PDF文書をつくるためには、市販のAdobe Acrobat(最新のバージョンは、6.0)が必要になりますが、手順は比較的簡単です。Windowsであれば、ワードプロセッサーのWordを使って文書をつくり、例えばAdobe社のPhotoshopを使って写真を加入したのち、丁度プリンターで紙に出力するように、「印刷」を選びます。通常であればプリンターで出力するのですが、その代わりに、「Acrobat Distiller」という仮想のプリンターを選択します。その結果、PDFファイルが保存されます。スキャナーがあれば、直接紙の文書を読み取って、PDF形式で保存することもできます。
 これが電子印刷物と言われる所以です。

Adobe社のホームページ
http://www.adobe.co.jp/

WEB市民14号PDFファイル(約1M)

田子山富士が志木市の民俗文化財に指定される

 志木市本町二丁目敷島神社の一帯は「田子山(たごやま)」と呼ばれていた。境内の北側に、明治二年十月から二年八ヶ月の歳月をかけて完成させた富士塚がある。高さ八.五m、円周一二五.三m、斜度三十九度の築山は「田子山富士」と呼ばれている。
 この場所にあった小山の上に土を盛り、富士山を模して築かれたものである。
 いまも残る多くの石造には、県内はじめ、都内を含めて、二千人以上の寄進者の名前が留められている。当時の引又宿(現在の志木市本町)で醤油醸造業を営んでいた高須庄吉が発起人となり、繁栄していた引又河岸の舟運関係者、近隣の有力者のほか、寄進者として、歌舞伎役者の岩井半四郎、尾上菊五郎も名を連ねている。築造の規模の大きさは、他の富士塚と比較しても並外れていて、当時の引又宿の経済力と富士山信仰への思いを伺い知ることができる。

田子山富士

 田子山富士の場所には、もともと古くから小山があって、古墳ではないかとの説もあった。その背後は「富士下」と呼ばれ、断崖を形成していた。斜面林からは清水が湧き、新河岸川につづく湿地帯で、かつては海の浅瀬と丘陵が接するところとされ、動物、植物の天然の宝庫であった。
 いま田子山富士に登ることは禁止されているが、頂上からは、新河岸川を越えて、さいたま市一帯が遠望でき、山の裏手からは同市に林立する高層ビルが遠望される。
 田子山富士の直下には、福祉のためのケアハウスが建設されたが、それにつながる一帯は、志木市が地主から借用、管理する「親水公園」ができた。ただし、本紙七号で報じられたように、この公園には、人工的な改変がつぎつぎに加えられ、生態系の危機が心配されている。

 資料:「田子山富士」上、下二巻、文化財調査報告書?二十二、志木市教育委員会、本紙第三号三面に池田要氏の切り絵が掲載されている。


正面


田子山富士の裏手につづく小道は、
静かな散歩道


富士のすそ野にあたる裏手の一角に「御胎内」と呼ばれる洞穴がつくられている。
信仰に基くもので、宗岡の有志が建てた石碑にそのいわれが記されている。

ウォッチング


舞台裏の楽屋で
古典舞踊「供奴」の顔つくり
埼玉芸術劇場で


「雨の五郎」を踊る
古典舞踊では子供のころから基本を学ぶことが大切

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