地域の街並みづくりを法律で国交省の画期的な「景観法」が成立
街並みを美しくしようという市民の熱い希いが実り、ようやく基本的な法律が誕生した。ずばり「景観法」という。三文字法は、「海岸法」が定められて以来、四十年ぶりとのこと。このことからも立役者となった国土交通省の意気込みがうかがわれる。
電柱が立ち並び、電線が張り巡らされ、また道沿いに貼られた身勝手な広告、看板が目立つ日本の風景、電柱、電話ボックス、トイレにまで貼られた広告。乱雑な広告が溢れる都心の風景は、欧米からの観光客をびっくりさせている。
それに引き換え、日本人が欧米を旅して驚くのは、屋根の向きや壁の色をそろえ、街路樹が植えられた美しい街や村の景観である。英国などでは、教会が見えなくなるような建物はつくれないという。
景観は国民の共有の財産なのだ。
すでに京都、倉敷など六つの都市で美観条例が定められ、独自に景観条例や要綱をつくった自治体も少なくなかった。また屋外広告など、個別に規制する法律もあった。しかし規制には限界があり、景観を整えようとする力は十分とはいえなかった。
「景観法」は衆議院で審議したのち参議院に送られ、六月十日、可決されて日の目を見ることになった。美しい街並みができることは、観光はもちろん地域の経済全般にもよい影響をもたらすに違いない。
この法律では、市町村に多くの権限をおろした。住民が景観計画を提案する制度も取り入れられている。
行政は景観計画区域内の建築物などに対して、届出、勧告による規制を行うとともに、建築物などの形態、色彩、意匠などに変更命令を出すこともできる。
一方区域内の優れた景観の形成を図るため、景観協議会を組織し、行政はその協議を尊重することを定めている。また行政は、景観形成のための業務を公益法人やNPO法人に委託することもできる。
これから市町村を核とする景観への取り組みと、市民の啓発によって美(うま)し国づくりが進むことを願って止まない。
参考・国土交通省のホームページ■http://www.mlit.go.jp/
地域住民のネットワークで一斉に
新河岸川流域の水質調査行われる
写真は水質を真剣に測定するサポーター
新河岸川流域の市民団体が集まって、水質を一斉に調査し、その報告書、マップの作成をはじめてから十年が経った。
新河岸川水系水環境連絡会(連絡先・藤井由美子さん?048‐466‐0916)がスタートして十一回目を迎えた今年は、さる六月六日(調査日は毎年六月の第一、又は第二日曜日と定められた)、雨もよいではあったが、多くのサポーターによって採水、測定は予定どおり終了した。
志木地区を担当したNPO「エコシティ志木」は、志木市立宗岡中学科学部の協力を得て、新河岸川の袋橋、いろは橋、宮戸橋で、また支流となる柳瀬川の志木大橋、栄橋のほか、新河岸川の本流である荒川の秋ヶ瀬取水堰などで採水し、ただちに水温、臭気を確認したのち、測定作業に移った。
朝霞地区では、「黒目川に親しむ会」ほかが、黒目川大橋から下流の笹橋までから採水、笹橋付近の湧水、黒目川が合流する新河岸川、さらに荒川からも採水して水質を調査した。
それぞれのグループは、宗岡中、朝霞十小で、水素イオン濃度、電気伝導度(EC)、化学的酸素消費量(COD)、亜硝酸系窒素、アンモニア性窒素量を測定した。
今年は、市民の活動が全国規模に成長し、全国水環境マップ実行委員会の主催によって、全河川の一斉調査が行われた。全国規模の水質評価は今年の秋には出揃うことになる。
身近な河川の上流、下流やほかの川の水質と比較し、環境について真剣に考えることは、参加団体の方々ばかりでなく、市民全体のつとめでもある。
水質への影響が大きい下水処理水についても学習し、市民環境科学へのひろがりを期待したい。
NPO「エコシティ志木」ホームページ■http://www.cc.e-mansion.com/~eco/
こうほね
川骨または 河骨
宗岡中学校庭の一隅で開いた一輪の花。
かつては新河岸川の川辺に群生していた。
新河岸川の堤外に建つ宗中と隣りの県立志木高校はともに創立三十周年を迎えた。校歌の中で、いまも
「水の辺(べ)に 若きいのちか
河骨の 生(お)うるかぎりを集い来て」と詠われている。
こうほねは、池沼または浅い川の縁に自生するスイレン科の多年草。葉は箭状で厚く、沈水葉は薄くて色が浅い。
夏季には、長い花柄を水面に出して、その頂きに黄色の一花を開く。ただし花のいのちは短く、二、三日でその鮮やかな色彩は失われる。
根茎は太く、薬用に用いられる。強壮、止血剤。
宗岡の風景
1.畦道の若いハンノキ(下宗岡で)
2.倉庫と接した水田と農道(上宗岡)
生産農家を営む細田さんが丹精して育てた貴重な若木(十五年くらい)。
ハンノキ(カバノキ科)は湿地を好む樹木。田の畦沿えに植え、かつては下枝を切って、刈り取った稲を干す「はさ(稲架)」として使われた。田圃の並木という風格をもった景観がここかしこに見られたが、開発の邪魔にされ、相次いで伐採された。昔は薪として炊事などに使われたというが。
水田の水は、むかしは野火止用水を使っていたが、いまでは地下水を汲み上げている。
湿地帯を好むと云へる榛の木は馴染みの木なり畦木・境木
舟運の新河岸川の川淀に咲きし河骨いまはまぼろし